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1963年(昭和38年)に部分的核実験停止条約が調印され、1964年(昭和39年)に国会でその批准が問われると、志賀は共産党内で再び少数派となった。当時は中ソ対立が激化しており、この時点では中国共産党と友好関係があった日本共産党は中国と歩調を合わせる形で条約批准反対を決めた。しかし、ソ連共産党に近いとされる志賀はこの条約を支持し、党の決定に反して5月15日の衆議院本会議採決で賛成投票を行った。その結果、5月21日に共産党中央委員会は志賀の除名を決定した。一方、6月30日に、志賀は自分と同時に共産党を除名された参議院議員の鈴木市蔵の他、神山茂夫や中野重治らと共に「日本共産党(日本のこえ)」を結成すると発表し、自らが委員長となった。
志賀義雄 - Wikipedia